古くはローマ時代からフランスへ抜ける道として栄え、今でも数々の史跡が当時の名残をとどめる
有名なスーサ街道の奥にあるトリノオリンピックではスノーボード会場となるバルトネッキア(BARDONECCHIA
1.312m)へ
BARDONECCHIA |
朝食時に記念写真を頼んだら喜んで並んでくれました。
デジカメで撮ったあと同じ写真を「チェキ」で撮ってプレゼントしましたら、また大喜び |
かぼちゃのオブジェを撮りたいというので「チェキ」を貸してやりました。 |
大きな花のオブジェお客さんを歓迎するためにシェフが腕を振るったのでしょう、かぼちゃで出来ていました |
今日も上天気
ところどころの山の上にナポレオン時代の砦が見えます。 |
道は相当高い山の中腹を走っているのしょう深い谷の底に街が見えます。 |
ヘリコプターなど航空機が送電線に接触しないよう、目印の玉 |
道路沿いの緊急電話です。レンタカーで走るとき知っておくと便利です。 |
バルドネッキア・スキー場 |
Bardonecchia |
みんな奇妙な帽子をかぶっていました。 |
20ユーロ |
クワッドリフトの次ぎは苦手のJバーリフトです。
トイレ休憩!
不思議な言葉をしゃべる人たちだな |
飲み物をこぼさないように、ソローリ |
子供が多く居たように思いました |
エイサク踊り? |
みんなご機嫌! |
一休み後サー滑るぞ
広いゲレンデに我々だけ、もったいなーい
今日の昼食はイタリア流ランチで〜ス |
ホットワイン |
ビール |
イタリア流コース料理 20ユーロ(2300円)/人 |
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ビールやワインでカンパーイ |
反対側の人達(カメラマンの私は写っていない) |
パンは食べ放題、コースは下のようです。
前菜(パスタ) |
メインデッシュ(ポレンタと肉類) |
デザート(アイスクリーム) |
ホットチョコラ |
日本では考えられない不思議な配線 |
イタリア流昼食は約2時間かけてゆっくり食べ会話を楽しみ過ごすのですが、我々は1時間半でゲレンデへ!
昼食後頑張るぞ! |
雪質もよく上天気のゲレンデ思う存分滑降 |
途中の歴史の峠で記念写真 |
今朝出発したバルトネッキアの町が見えてきました。 |
誰も滑っていないガラガラのゲレンデ |
日も傾きかけたし、くたびれたのでボチボチ帰ろうか?!
迎えのバスにやっとたどり着きました。 |
人影のないゲレンデを後に |
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ホテルが見えるとホッとして、疲れが出る |
セストリエールのゲレンデも誰も滑っていない |
ホテルのバーで生演奏 |
4ツ星HOTELらしく毎晩、生演奏で歌を聞かせてくれます。 |
他のグループも夕食後を楽しんでいました。 |
我々も負けずにグラッパで乾杯! |
アクシデント5 |
ミラノ観光が付いている |
今回の12人のパーティのうち3人がミラノ観光をしたいために延泊を旅行社へ申し入れておきました。
しかし、残りの9人にはミラノ観光が付いた旅行行程が渡されていました。
ただし、旅行社の説明によると、この行程は前回行程の文章なのでミラノ観光は付いていないとの説明されました。
このため楽しいディナーの最中に出発前からミラノでのショッピングや観光を予定していた9人は当然、
旅行社にクレームを付け、結果的にはミラノ観光ができることになりました。
この行程ですと我々名古屋組は成田着後、半日以上時間を潰すことなく名古屋へ帰れます。
そのうえ休暇が1日少なくて済みます。
納得のいかない対応
此処で、腹に納まらないのは、延泊を申し込んだ我々3人です。
申込時にはミラノ観光付いていないので、観光のために延泊を申込み、延泊をしたにもかかわらず、
あくる日の飛行機は前日の便より半日も早く機乗しなくてはなりません。
これでは午前中の観光ではお店も開くのが遅いしショッピングも出来ません。
結局知らない土地で機乗時間に遅れるのも怖いので朝食後ホテルの周りを散歩しただけで空港へ向かいました。
今の時期、国内の景気も悪いのに余分に休暇を取り観光も出来ず、ただホテルに泊まるだけの日程を組んだ
旅行社を恨んで宿泊することにしました。
セストリエール6日目天候晴れ
SESTRIERE |
食器にはすべてこのホテルのマークが入っています。 |
山形さんの風邪も治って、今朝の朝食は全員揃いました。
社長、先生 |
琴巳さん、ふじさん |
ご夫妻 |
でんさん |
山形さん |
かぶさん |
シルバー
最後の日はシルバーは休養日としました |
ホテルから見た町のホテル群 |
町への途中にあるヘリコプター基地 |
ヘリコプター駐機場向かいにヘリとスノーモービル事務所があります。 |
ヘリコプター事務所の上にレンタルスノーモービルが |
昼にはどこかのグループのスキー大会が開かれていました。 |
ヘリコプター基地にある救急マーク |
サイドに急患を乗せるバケットが付いています |
ヘリコプターは救急用ばかりでなく、観光用などに使われるようです。 |
パラグライダー基地?
ヘリコプター基地から飛び立とうとするパラグライダー |
風が悪いのかナカナカ飛ばない |
ヘリコプター基地から見たセストリエール・ゲレンデの山々
街へ入ったら仲間に出会った
風邪も治った山形さんがショッピングに出ていました。 |
SPORT SKI-GOLF SAS |
(ウエアーと小物のお店) |
カッコいい「SKI GOLF」ウエアーが揃っている「Cristina」(クリステーナか?) |
ウエアーばかりでなくお土産に最適なグッツもあります。 |
2006年セストリエール・オリンピックを刺繍であしらったトレーナが45ユーロ(5千円)。大小9着買いました |
お土産パッキング作戦 |
買い物を終えたら外は夕焼けでした。
明日はミラノへ、
最後のディナーも美味しいイタリア料理が満載! |
ディナー後、例によってクラブで、ささやかな「打ち上げパーティ」
最後の夜ですので午前2時近くまで、頑張りました! |
皆さん元気!! |
セストリエールの夜は静かに深けていきます
明日はミラノ見物です。
MIRANOミラノ見物は最後の晩餐のサンタマリア・デラ・グラツィエ教会とドゥオモ大聖堂
MIRANO |
いよいよ、セストリエールともお別れです。
8:00には全員フロントへ集まってきました。 |
出発は8:15です。 |
いよいよセストリエールの街ともお別れです。オリンピックの時は街はもっと変わるのでしょう |
あのコースでどんなレースが展開されるのか楽しみです。 |
街が遠ざかります。もっと滑りたかったが、ミラノが待っている! |
途中古い街の狭い道を縫って進みます |
ミラノへの道標もあります |
トリノも過ぎ一路バスはミラノへ。 | ミラノ近くで素晴らしい雪山が見えました |
高速に入ります。 ミラノまで約180k、3時間 |
いよいよミラノへ近づきました「ミラノまで12km」の標識が見えました。 |
ミラノ |
MILANO ミラノの地名はラテン語のメディオラーヌム(Mediolanum平原のまん中) |
ローマに次ぐイタリア第2の都市
商業と金融の町、ミラノ。人口は153万6000人(ローマは約300万人)ですが経済力ではイタリア随一です。
半島のイメージがあるイタリアのうちミラノは大陸部に属し、地中海風土とは程遠く、霧に包まれた冬と、蒸し暑い夏をすごします。
ミラノ市内へ入りました | 旧市街に近づくに従って道は狭く無断駐車が道に一杯! |
トラムの切符は乗り放題の「特別切符」がお得 |
ミラノには路面電車(トラム)、地下鉄、バスがありますが トラムが安心です。 |
駅は簡単な屋根が付いているので分かりやすいです。 |
切符は券売機もありますが、市内の売店、タバコ屋などに「T」のマークの看板があります。 |
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料金は1ユーロです。 |
乗車したら必ず赤い箱に入れて時間を記録させます。 |
トラムは最初の乗車から75分間乗り降り自由です。 |
町の中は遺跡だらけです。バスの中から撮影しましたので詳しいことは分かりません。
街中は遺跡だらけ、修復されて石の色がまだらです。 | |
異民族支配の歴史西ローマ帝国の首都 B.C.222年にローマに征服され(こんな記録が残っていることが素晴らしい)、A.D.305年から約100年間 西ローマ帝国の首都でした。 五世紀以降、東ゴート、ランゴバルド、フランク王国等北の民族に支配され、一時自由都市国家を築くが、 12世紀にザクセン軍に占領され13世紀にミラノ公国となり宮廷文化が花開くが、 1500年にフランスに、次にスペイン、オーストリアの支配下に入ります。 1861年にオーストリアを破り異民族支配から脱しました。 |
聖ロレンツオの列柱 |
ローマ時代の遺跡らしく詳しいことは分かりません |
ビックリ |
サンタンブロージョ教会 |
この門の先からは市外 ティチネーゼ門といい市の境にあったそうです。 門の上の文字は「DEDIC ANNO MDCCCXV」と読めます。 意味は分かりませんが最後の綴りはローマ数字と思われます。 MDCCCXVは1000,500,100,100,100,10,5となり1815となります。 年代としたら1815年となりますが? |
古い洗濯場 |
町の中に枯れた川の沿って屋根が作られていました。 |
枯れた川の縁に斜めの石が並んでいます。 |
この斜めの石は洗濯板だったそうです。 |
サッカーとトトカルチョ
プロサッカー試合のTV中継が始まると街から人影が消えると、言われます。
この間はイタリア中の機能が止まるといわれています。
トトTotoは、トゥットTutto(全ての)俗称、カルチョCalcioはサッカー
町中、駐車の列 狭い道に広軌のレールその両側の歩道には、びっしり駐車した車の列 バスもトラム(市電)も、ゆっくりユックリ |
最後の晩餐で有名なサンタマリア教会へ行きました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 |
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Piazza Santa Maria Grazie 2 |
予約時間に大幅遅れ!
ミラノ到着は11:15から30分。「最後の晩餐」の予約が12:15!
しかし、運転手が街へ入ってから道に迷うこと1時間。
バスをすててタクシーで12:45にサンタマリア教会へ到着
なんとか入場できたので好運!
最後の晩餐(上の絵はレプリカです)はこの教会の食堂の壁にあります。 |
サンタマリア教会目には日本人がイッパイ。 というか日本人ばかり!
予約しないと見られません!
入場料 6.5ユーロ(800円) |
見学の注意
現在見学は人数を制限して行われていいます。
教会に直接電話して、指定された日時の予約番号をもらい、当日時間前までに教会に行かなければなりません。
時間を過ぎるとキャンセル扱いとなるので注意が必要。(私たちの場合は事前に電話して了解を得ました)
今のところ人気が非常に高く、希望の日時に予約するには1ヶ月前には予約した方が良いと云われています。
どうしても見たい場合は当日キャンセル待ちする手もあるが、見られない人が大勢たむろしていました。
見学中の注意
日本語解説のヘッドホーンは2ユーロで借りられますが説明内容は30分ですが、
混雑している時は15分で入れ替えになりますから、反対側の絵も見るように黄を配ってください。
ダビンチの絵は教会の左側、 |
「最後の晩餐」Cenacolo
Vincianoは日本では見られません
なぜなら食道の壁に描かれているため、モナリザのように持ってこられません。
見学者の殆どは日本人 |
レオナルド・ダ・ヴィンチ 1519年に死去
レオナルド=ダ=ヴィンチは、ルネッサンス期を代表する芸術家で、その代表作には「最後の晩餐」「モナ=リザ」などがあります。
レオナルド=ダ=ヴィンチ Leonardo da Vinci 1452〜1519
1452年、イタリアのフィレンッエ西方のヴィンチ村で生まれる。父は公証人で、レオナルド=ダ=ヴィンチは庶子でした。
フィレンッエのヴェロッキオの工房とメディチ家のサロンで芸術家としての腕を磨きました。
絵画の遠近法のほか、力学、光学、天文学、解剖学など自然科学全般についても研究を行いました。
ミラノ公につかえたのちローマに移り、晩年はフランス国王フランシス1世に招かれ、フランスのクルーで没しました。
彼は、一生、結婚しませんでした。
【代表作品】
絵画「最後の晩餐」 〜
イタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デラ・グラツィエ教会の壁画。
絵画「モナ=リザ」 〜
謎めいた微笑をたたえた女性の肖像画。現在、フランスのルーブル美術館蔵。
絵画「岩窟の聖母」 〜
フランスのルーブル美術館蔵。
絵画「聖アンナと聖母子」 〜
フランスのルーブル美術館蔵。
なぜか教会前には日本人は居ません。その訳は |
名画の入り口は教会の左側のにあるためです・ |
名画の鑑賞には「予約」必要です |
CGで復元された「最後の晩餐」
「最後の晩餐 CENACOLO VINCIANO」 SANTA MARIA
DELLE GRAZIE 壁画 |
長い年月で絵にカビが生えたり、剥がれ落ちたりしたしたが、 |
絵が有名でなかった頃、厨房との通路のためドアーを |
修復された絵画ですがやはり、往年の輝きはないようです |
混雑している時は15分交代 |
修復中の現場の写真 |
大きさや立体感で本物は圧倒されます。
この場面をレオナルド・ダ・ヴィンチが修道院の食堂の壁に描きました。 |
見学通路の出口 |
裏庭から見た食道 |
入り口付近には相変わらずキャンセル待ちの旅行者 |
「最後の晩餐」のある旧食道の裏庭。 教会の右隣を市電が走っていました。 |
スカラ座 |
Teatro alla Scala |
オーストリア支配下の時 スカラ座向かいの像はレオナルド・ダビンチとその弟子達 |
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オペラの殿堂スカラ座はスカラ教会の跡地に。 |
ミラノ・ファッションの街 |
ミラノ・コレクションは3月と10月に |
旅行者への客引き・たかり幻滅に町 |
繁華街は警官と駐車整理員だらけ | |
露天商からは者を買うな、地下鉄は乗らない方がいい。 横断歩道を渡っている時でも、若い男が「鳩に餌をやらないか」と近づいてくる |
みやげ物店は安心で安い。特に絹製品はバカ安
安くて品質がいいイタリア製品 左のネクタイは絹製で10ユーロ(1300円) |
世界で有名な絹製品はロンバルディア地方 |
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絹製マフラーは24ユーロ(3.000円) |
街の中に突然、重厚な建物が建っています。
その横には近代的な高層建築が共存する過去と現在が溶け合っている街がミラノです。
人々は店の中より戸外のカフェを好み、エスプレッソを飲みながらおしゃべりに余念がありません。 |
イタリアは多少物騒な面もありますが、街の中心地はあちらこちらに警官がかならずいます。 |
次は「ドゥモ大聖堂」を紹介します
街の中心にあるドゥオモ大聖堂は何処からでも尖端のマリア像が見えます。 |
ドゥモ大聖堂があんなにデカイとは知りませんでした。
このHPはmoriy@シルバーが旅行した当時の記録です。
その後、現地の状況などが変わっています。
旅行の参考にしてくださる時は他の方法で確認して、お出かけ下さい。